さて、前回の続き…。

目の前に広がる困難や苦しみにあえて挑戦して、その辛さを背負うことなんて馬鹿馬鹿しい。
そんなことまでせずに、その場の流れに流されていた方が楽だし、苦しまないだけ幸せなのではないか…。
苦しいときほど、辛いときほど誰の心にも湧いてくる感情だろう。

そうした思いのときは、心が疲れているときに多くそう思うことだろう。
また、心に孤独が広がっている時ほど、自分ばかりが大変だと思い、全てが嫌になり、悲観的になってしまう。

私たち支援者は、そうした状況にいる人を支援することがある。
組織のリーダーであれば、場合によって、そんな思いになっているスタッフ(専門職)を支える役割を持っている。

でも、支援者だってリーダーだって同様の気持ちになる。

ではどうやったら、こうした状態から回復させることができるのだろう。
弱ってしまった心。
前に進めない状態の心を…。
どうしたらいいのか…。

形式的に言えば、ストレスマネジメントというのだろう。
ストレスコーピングをすればいいとか…。
心理的な表現で言えば、様々な方法を言葉にすることになるであろう。
でも、そうした学びの話を聞いて、「そうか!」と言えるのは、まだまだ心にエネルギーがあるから。

パワーレスになってしまっている状態では、どんなに励まされても高尚な知識からくる対策も、悲観的という厚い壁に阻まれて心に届く前にシャットアウトされてしまう。
それだけ、悲観的な感情は自分を押しつぶしてしまう。

そこまで落ちないように、崩れ去らないように、知識や良き先輩の存在は、自分を励まし自分で立ち上がるときに大きな役割を果たす。
知識や良き先輩の存在は、自らに勇気と希望 を見出す力になる。
だから、知識や良き先輩の存在はとても大切になってくる。

それでも落ちてしまった人には、声を聴くしかない。
そっとそばにいて聴くだけで力になる。
最初の一歩は聴くことから始まる。
こちらから語るのではなく語るのをじっとそばで待ち続けるしかない。
私はここにいると存在をさりげなく示しながら…。

相手ばかりの問題ではない。
落ちてしまった自分自身も立ち上がるために、その準備を倒れる前から心に刻んでおくことも大切なのではないか。
誰も、倒れてしまったら、そうは容易には立ち上がれない。
だからこそ、立ち上がるためのスイッチを手にしておくつもりで…。

人は、時に苦悩し挫折する。
そして、時に葛藤し悩む。
その一つひとつを乗り越えていく先には、必ず喜びがあり、その時には気づけなかったその苦悩に意味があると気づく。
そうして積み重ねられた人生は、自身の武勇伝となり、生きてきた自信へと繋がっていく。

「失敗をしない人は成功しない」と恩師は教える。
「失敗という経験から学び、次に生かしていく心の強さが、人間としての器を大きくしていく」とも教えてくれた。

もしかすると、全ての苦悩や失敗は失敗ではなく、自身を強くしていくための鍛えのきっかけなのかもしれない。
恩師は「「本当の失敗は、失敗を恐れて挑戦しないことなんだ。自分で自分を諦めてしまうことが失敗なんだ」との言葉に、私たちが歩まなければならない道は、自ずと見えてこよう。

「小さい努力でも実践すれば無限の結果がある」 アラン

過去の出来事が、未来への勇気と希望に変わる力となるように、悩み苦しむことを人生上の最悪なこととして、受け止めるのではなく、その悩み苦しむこと自体が、自身の人生上に意味あるもの(これからの人生に必ず役に立つこと)として捉えることができるように目線を変えなければならないのだと思う。

フランスの格言に「打ち倒す者より起き上がる者がもっとも強い」という言葉があるそうである。
起き上がる者がもっとも強いとするのは、起き上がるには粘り強さと、正と負を味わった上で、それでも立ち上がろうとするそうとうの心のエネルギーで起き上がる。
瞬発的な打ち倒す力(怒りの力など)は、一瞬の力はものすごくエネルギーを発揮するけれども、時間と共に萎えてしまう。
継続されないエネルギーだから、思い続けるエネルギーと比べたら瞬発力のエネルギーは勝てないのです。

そう考えれば、自身がパワーレスの状態にあっても、また支援する側にとっても、思い続けること。
そして、落ちる前の想いを思い起こすための繰り返される励ましの言葉が、いかに大切かを考えさせられるのでした。