今回の認知症徘徊の列車事故訴訟の判決はみなさんがとても注目されたかと思います。

その中で、画期的との意見もあれば、今回の判決はこの1事例のものであって、また同じような事例があった場合、問題無しと言うことにならない判決だったので諸手を挙げてOKとは言えないとの意見もあります。

 

さてさて、報道で聞く範囲ではどうしても見えてこないものがあります。

いったい家族はどこまでたいへんだったのだろう…。

そもそも、85歳の配偶者はどう思っているのだろう…。

「自分やもうちょっと頑張っていれば…」と思っているとき、ある意味、罰が慰めになるときもあります。

そこがわからない・・。

 

一緒に居た配偶者の思いが気になってしょうがない想いになっていました。

 

そんな思いから、今回の判決文を取り寄せて見ることができた。

すると、この事故が起きる前までの介護者家族のたいへんさは、限界を超えてしまっていることがわかってくる。

そして、なぜこの限界ギリギリまで在宅で介護をすることになっていったのかも…。

 

たいへんな想いを感じながら、その後に続く判決文に、思わず「すごい!」と声を上げてしまう文章があったのです。

判決文

3 (準)監督義務者と責任無能力者の保護

 責任無能力の制度は、法的価値判断能力を欠く者(以下「本人」ともいう。)のための保護制度であるが、保護としては、本人が債務を負わされないということに留まらず、本人が行動制限をされないということが重要である。と、あるのです。

 

【本人が行動制限をされないということが重要】

本人の尊厳を大切にされた判決なんですよね。これ!

そう思ったとき、ちょっとウルッとしてしまいました。

その後の判決文には「本人に責任を問わないとしても、監督者が責任を問われるとなると、監督者に本人の行動制限をする動機付けが生ずる」とも…。

これって、本当に凄いことだと思ったのです。

 

そして、さらに「24時間体制、365日体制、それが何年にも及び、本人の生活の質の維持をこころがける認知症高齢者の在宅での介護は、身近にいる者だけでできるものではないが、身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め、本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり、各人が合意して環境形成、体制作りを行い、それぞれの役割を引き受けているのである。」

 

この判決文にも感嘆する内容でした。

社会で見るだけでもなく、家族抜きでもあり得ないこと。

親族以外の近隣を含めた支援の必要性。

まさに、専門職連携も地域支援も考えるようにとの判決。

 

私たちがすべきことを判決文で表現した文章。

 

実践者にとってとても心強く、また推進への勇気を頂いた感じがしました。

 

今回の判決は、不十分なのかどうなのか。

そうした議論は評論家に任せて、実践する支援者として、この判決を次の支援の糧として地域住民とクライエントと共に歩んでいきたいと私自身思えた判決でした。