今日は大学院の時の友人が有志ではじめた社会福祉研究会。

帰りに、みんなで東京芸術劇場で行われている「勇気の証言 ホロコースト展 アンネと杉原千畝の選択」に行ってきました。

 

良かったという感想が正しいのか…。

とにかく、心が憤ると同時に、杉原氏とアンネの人の尊厳に対しての想いやサイモン・ウィーゼンタールやエリー・ビィーゼルの言葉などがずっりと心に訴えかけてきて、見終わった時、人間の非道さと気高さの両面を強く感じ、正直心が疲れて言葉がなかった。

 

サイモン・ウィーゼンタールは「このような辛い記憶を終わらせる簡単な方法があるとは考えてはならない…

人間の心の中の憎悪を許す簡単な方法…

あるいは最悪な事はすでにおこり、過ぎ去ったと信じる簡単な方法があると考えてはならない。

人々が忘れなければ、希望は続くという事だけは知っていなければならない」

この言葉の意味。

私たちは、こうした悲惨な戦争や非人道的な行為に対して怒りを持つことがあっても、それを継続させることができない。

 

以前も書きましたが、内村鑑三の日本人の傾向を「深く静かに怒ることができない。まことに彼らは、”永久に深遠に怒ること”が、いかに正しく崇高なことかさえ知らない」と戒めたこの言葉に通ずるものを感じました。

 

あの戦争を、ホロコーストでおきた出来事を、差別という入り口で終わるので無く、人権という視点での捉えがとても共感。

戦争という大きな出来事は人権を意識することがあっても、身近に起きている人権侵害は、何ら気づかずに行われている。

しかも日々繰り返して…。

 

相手の命を大切にする心。

そこを忘れた姿が、人権侵害の姿であり、それは、すぐそこにあるのかもしれません…。

 

アンネの言葉に「誰もが幸福になりたいという目的をもって生きています。生き方はそれぞれ違っても目的はみんな同じなんです」

 

この言葉に尽きますね…。