今日は東京での会議。
医療系のメンバーの中で私だけ福祉系。
会議の最後にやっぱり自分は福祉的視点が強く、発言も全体の流れから見たらズレていたかも・・・。
自分だけ違う位置にいるんだなぁ~と気づかされ、そして寂しさを感じてしまいました。
そんな思いをさらに強く感じてしまうのは昨日の出来事からかもしれません。
昨日は、ある会議で私が初めて実践のケースワークを教えてくださった方のご主人と久しぶに一緒になりました。
この方は、古くからの福祉人。
障害福祉の実践家であり人権や尊厳の良心をしっかり持った方。
臨床家として尊敬できる人。
今の福祉の問題や福祉教育の課題など会議では話し合われました。(とはいえ、言うほどに高度な話ではないのですが…。)
今回はあまり喋る立場ではないか~と思っていましたが、黙っていられない性格の私はやはりいつものように福祉とは~や、ケアの専門職として~など、今の制度の問題を語る以上に目の前のクライアントへの視点の重要性など話てました。
その話を聞いてくださっていたご主人が、「あなたは、昔からずっと変わらないですね。ずっと福祉一本。変わらずに言い続ける事はすごいことですよ」と話され、「しっかり職員を育ててきたからこそ言えることですよ」と。
そして、「こうした福祉の話をし合える人が少なくなった…」と。
しかし、職員を育ててきたからと言われると、そうではないと言い切れる自分。
それでも、それ以外の言葉は、今の自分でいいんだと背中を押されたような気持ちになった。
クライアントのために、ずっと戦ってきた自分を認めてもらえたように嬉しかった…。
なんとも言えないほど嬉しかった。
それと同時に、私にケースワークを教えてくださった先輩のことを思ったのです。
ずいぶん前に呟いたかもしれませんが、この先輩には本当にお世話になったのです。
私がどんなに頑張ってもできなかったケアをいとも簡単にやってのける先輩。
どんなクライアントも分け隔てなく、そして拒否さえもされることなくケアをされた先輩。
しょっちゅう「あなたはバカだね~」「若いだけでダメね~」「想いばっかりで中身が無い」と叱られ、首を絞められたり、蹴っ飛ばされたり。(周りからはジャレ合ってるとしか思われなかったみたいだけれど、こっちは真剣に向き合っていたんだけど…。)
そんなこともたくさんあったけどしっかり教えてくださった。
自分が病気になって、すぐ入院しろとDrに言われても「来週はクライアントの運動会だからそれが終わってからでもいいか」と自分の病気よりもクライアントを優先したひと。
面会謝絶の中、ご家族から特別に許可を頂き、体力が落ちてしまっている先輩の姿に泣きながら「これからもっと教えて欲しいのに、なんであなたは先に逝ってしまうんだ!」とすがるようにベッドに横たわる先輩に今の想いを、切なさをぶつけて、もっと教えて欲しいと訴えた自分を思い出しました。
私にとって最後の指導は、想いだけではダメな理由。
知識バカではダメな理由。
情だけではクライアントを潰してしまう危険性などを話してくださった。
さらにダメな人間だった私に先輩は自身の最期の姿を通じて学ばせようとしてくれた。
「私の最期をちゃんと見ておきなさい」と。
仰ったとおり本当に学ばせて頂いた。
ご主人が仰った「昔からずっと変わらないですね」の言葉を聞いた時、「ああ…自宅で私のことを話してくださっていたんだ…。」「どんな思いで私を見ていてくださったんだろう…。」そう思うと、この言葉の重さがズシリと胸にのしかかってくる。
それと同時に、感謝と淋しさが入り混じって込み上げてきました。
福祉を学んで30年以上。
この仕事を始めて25年以上が過ぎていった…。
この間、全く変わらず戦ってばかりの福祉人の自分・・・。
ベンジャミン・ディズリーは「行動は必ずしも幸福をもたらさないかもしれない。しかし行動のない所に幸福は生まれない」と。
今の自分はどうだろう?
先輩は、今の自分を見ていたら何て言うだろう。
「相変わらず馬鹿だね」きっとそう言うんだろうなぁ。
「あなたの考えは浅はかだね~。夢ばかり見てんじゃないわよ~」と言うだろうなぁ・・・。
先輩・・・寂しいですよ・・・。