ヒーローはいるのか?
前回までの話からヒーローはいるのか。
などと話しから、気づくとヒーローは必ずしも目に見えているものではないのでは?と書いてきました。
ヒーローはいないけど、ヒールはいるんです。
ただ、ヒール(悪者)は本当に悪者者なのか?と言ったらそうとは言えないわけで…。
たとえば、クリストファーノーラン監督のバットマン(rising・Dark Night・Risingの3部作)はまさにダークヒーロー(ヒールっぽい)でした。
かっこいいな~憧れるなぁ~。
あの映画でバットマンが好きなりました。
話はもとへ…。
あえて言えば、悪者とされている人に対しての相手が、自分にとって都合の悪い人が悪者のなってしまっていることもある。
それは、どんなに悪くなくても、その相手が多勢であれば、また声が大きく、噂やウソを言いふらすタイプであれば、どんなにその人が正しくても悪者になってしまう。
本当は、その人が悪いのにね…。
そのウソを信じる方も信じる方ですが、人を貶める言葉って結構信じられてしまうものなんですよね…。
人は、“してもらったこと”は忘れるけど、“されたこと”は忘れないように思える。
感謝する心はしてもらったことが心に残らなければできないもにだから、感謝する人の心は純粋なんだと思うのです。
いつも「ありがとう,ありがとう」というお祖父さんは好かれ、可愛がられるけど、指摘や文句を言うお祖父さんは嫌われる。
以前、勤めていた施設で、ご意見番のようなお祖父さんが居ました。
そのお祖父さんは、廊下に張ってある転落防止のロープヒョイとまたぐ女性職員に「はしたない!今時の女子は恥じらいも奥ゆかしさもない!」と、いつも怒っていました。
このお祖父さんに対して、「小言ジジイ」と悪口を言う職員もいれば、「女性らしさを教えているんだよね」と肯定的に見る職員も…。
本当は、こうした小言ジジイが世に中の秩序を守る役割を持っているのですが、そこがわからない。
先日も、地域の公民館での人権講話でも、聴講してくださったお祖父さんも「地域で、一言注意する小言ジジイやお節介が居なくなったから世の中の風紀が乱れてきたんだ」と話す方がいらっしゃいました。
同じ次元にしてはいけないのですが、別次元で見たら、ワンワン吠える犬は嫌われて、吠えずに撫でられ上手の犬は好かれる。
これも、飼い主の都合の時がある。
問題は受け手次第なのか?
真実を見極める力がないと、いずれ自分もその仲間になってしまう。
そうならないように、自身の心を適切に保つことが何よりも大切ではと思うのです。
では、どう適切に保つことができるのか…。
課題ですね…。
次は、ここから…。