仕事が積み重なって、ついつい更新が遅れてしまった・・・。
さて、前回の続き・・・。
以前恩師は、「師が弟子として認めるのではなく、弟子が師と仰いで師弟となる」と教わった。
師がいないのではなく、師を探そうとしないだけなのではないか。
そういう意味として考えた。
吉川英治は、娘の結婚式に「我以外全て我が師」と色紙に書いたとされる。
師匠を求める心があれば、必ず目の前に現れてくるのだろう。
しかし、その師匠は本当に正しい師匠なのか。それが問題となってくる。
ただ、餌をくれるからついて行くのであれば、犬と一緒。
本当に「この人なら!」と言える人なのだろうか・・・。
それがわかれば、良いのだけれど、それがわからないのが人なのだろう。
確かに我以外全て我が師ではあるが、何も疑問なく言いなりと言うことではなく、確固たる自身の中に純粋な哲学や倫理が置かれているかどうかにあるのだろう。
ただ、一つ判断する上で大切なことは、その根本が己のためでなく他者への貢献が心にあるかどうかが重要と、古の時代から多くの賢者から言われ続けていること。
己のための欲望を捨てること。
簡単なようで、一番難しいこと。
この人間の一番難しい行為を実行するにはどうしたらいいのかを問い続けてきたのが、哲学だったのだろう。
さて、ここから先が問題。
いつも、ここから先の考えが行き詰まってしまう。
また、物思いにふけるとしよう・・・。