震災から3年

3.11を迎えました。

もう3年なのか。まだ3年なのか。とらえ方は様々。

この日をどう迎えるかも人それぞれ。

皆さんはどう迎えましたか。

この日は、私は諏訪で会議中。

大きな揺れが長く続き、「きっとこれは東海地震だ」そう思っていました。

しかし、予想とは違い東北地方。

そして、その被害も予想を遙かに超え、私たち日本人の生活さえも大きく変える災害となった。

直接私にも影響がたくさんあった。

友人を亡くしたこと。

当たり前の生活ができなくなってしまったこと。

人を支える仕事のはずなのに、自分はなんて無力なのかと考えさせられる出来事。

阪神淡路大震災でも友人が被害を受ける。

かろうじて友人本人の命は守られたが、5歳の子どもを亡くした。

それでも彼は当時ボランティアに走る。

「子どもを亡くしてよくがんばれるなぁ」そう訪ねると彼は「動いていないとやっていられなくなる。そして、ここにいると生きている人をどう支えるかの方に、僕は心が動いていくんだよ」と。

そして、彼と共通の師が伝えてくれた励ましの言葉に奮起する彼の姿が目に映る。

彼は、阪神の震災時にこう話してくれた「こうした予測しない震災に遭ったとき、人はどう振る舞うのか。そこに人間としての価値が現れてくるんだと思う」と。

そして、「平和に安泰な生活をしているときにはわからなかったが、こうした震災に遭ったときに人のメッキが剥がれ、本当のその人がわかってくる。本物は誰か。偽善者は誰か。僕は、偽善者にはなりたくない。本当に困っている人のためにありたい。その人と共にありたい。」と。

その言葉は、今も私の心をえぐるように響いてくる。

果たして、自分はどうなのだろうか?

真の時は忘れない自分でいられるのだろうか。

師の言葉がよみがえる「一番大変な思いをした人が一番幸せになる権利がある。一番幸せになるのだ」と。

この大切な3.11は私自身がこれで大丈夫なのかを振り返る大切な日。

そして、この日を単なるイベントの日ではなく、人が人を想い、自身は何ができるのかという実践を問う大切な日でありたいと想う私にとって大切な日なのです。