今年度は、法人・事業所開設20周年を迎える年となります。
そして、今日この日が宅老所もくれんが認可された日となります。
みなさまには、陰に日向に大変お世話になり、ここまでくることができました。
心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。
新年度といえば、新しく進学する人。フレッシュな社会人。
花々は咲き始め、桜色の花々はすべての人を寿ぐ背景を与えてくれているよう。
お正月よりも、4月の方が新しくスタートした気持ちになれるのは、新学期や社会人のスタートがこの時期だからでもあるし、モノクロの冬から明るい彩りの花々が芽吹きはじめて、自然の景色を明るくしてくれているからのかもしれない。
花々や芽吹きの力は、なんとなく、かん難なことに挑戦できるように背中を押された気持ちになります。
今から20年前。
かん難の中でこの法人と事業所が誕生しました
周到に準備をしても、うまくいかないことが次から次と起きては対応し、また助けていただきながら始まりました。
事業を開始までこぎつけても、住宅地の中での特有の課題や問題。
小規模ゆえ、大規模事業所とは対等になど戦えず、コツコツと積み上げる日々を思い出します。
認知症も当時はまた痴呆症。
生活のすべてに認知症ケアに必要なアクティビティがあることを理解されないご指摘もありました。
「利用者にお掃除なんてさせるの〜」など、今では当たり前のアクティビティも真っ向から否定されたり、変な噂も流れたり。
日々奮闘だった。
認知症ケアがどういったものかが一般化されてなかったあのとき、ある意味私たちのケアがこの地域の中では、先駆けだったことは、今振り返ってみて歴史がその事実を物語っていると思いたい。
そして、私はといえば、とにかく突っ走っていた。
国保の病院・老健を退職し、様々な役職も収入も全部投げ打ってこの事業に想いを賭けたこともあって、尖っていて、いつも何かと闘っていた。
スタッフに無理難題を投げかけては、上手くいかないと叱り、上手くいくと次の難しいケースへの挑戦を用意して、気が休まることもなかっただろう…。
スタッフのみんなも、私の無理難題に悩み闘い、自分自身への挑戦し闘っていた。
あるスタッフに「やる気がないなら辞めたっていいよ。どうする!」などと、労務違反の発言を向けたりして。今は、そんな言葉なんて言えない。
反対に、よくよく、辞めずについてきてくれたな…と今は感謝しかない。
法人立ち上げからずっと言い続けてきたことは「スタッフ同士の陰口を言わない」「いじわるはしない」だった。そして、思ったことはちゃんと話し合うことを大切にしてきた。
認知症の学びよりも、人間関係を最優先にやってきたのが、この法人のスタートだった。
それには、理由があった。
どんなに知識や技術があっても、その知識や技術は、使う人の心によって善にも悪にも使い分けられる。
心こそ大切なんだとの思いからだった。
スタッフ同士いがみ合っていたら、お互いに連携なんてできないのだと思う。
連携の根底には、相互依存があるわけで、意地悪な人や陰口を言う人は信用できなから依存なんてできないし、したくないものね。
また、陰口や意地悪な人が本当に相手のことを思って支えることなんてできるのかな〜と、思っていたのが、それが開所したときの思いだった。
思っていたということは、今は違うのか?
そう、今は違う考えもある。
だれにでも優しさはある。
たとえは、どんなに意地悪な姑も誰かを愛し大切に思う。
人の心のは、常に相手のことを思う心があり、大切にしたいとの思いがある。
そして、何かに毒されて意地悪や陰口をが現れるのだろう。
その根底には、自分の自信がないということか。
だからこそ、誰かと比較せず、誰かのために地道に歩むことこそが大切なのだと思う。
どんなに苦しくても、自分のためではなく、誰かに想いを寄せて誰かのためにと歩むとき、その人が心の支えとなり、前に進むことができる。
そして、笑顔が戻ってくる。
これは、介護者家族の支援にも通じると思っている。
そして、難しい事だからこそ自分はそれを実行しようと心がけている。
法人立ち上げから創立記念周年は、社会教育の視点を込めて講演会を開てきた。
それがNPOとしての使命でもあるから。
最初の5年間は知名度もないので行政との共催などもやりながら毎年講演会を開き、その後5年ごとに講演会や写真展などを開いてきました。
全ての講演会などは、法人立ち上げのお祝いではなく、地域の方々や介護者への感謝を込めての贈り物としての講演だった。
時が流れて、20年。
今年は、どんな講演を皆さんに届けようか…。
コロナ禍でもあるので、以前のようにとはいかないかもしれませんが、20年という節目。
今年度の企画をしっかり考えてきたいと思います。
20年目を迎えるこの法人・事業所を、今年度もよろしくお願いいたします。