明けましておめでとうございます。
今年は、法人創立と宅老所もくれん設立15周年の年。
15年という単位は、今までの歩みを振り返ると長き時間の単位に見えますが、人生の単位や昭和や平成という歴史の単位の中で見たらほんの15年という短い時間でしかない。
さて、この15年はどんな時間だったのだろう。
ひと言で言えば、“濃かった”ということですが、ただひたすらに歩いてきたということ。
振り返って考えるのは、追々として、つぶやきの書き初めでもありますので、創立について考えてみようと思う。
今年は創立15周年。
一大発心して、始めて15年が経ったということですが、ただ創って歩き出したのではなく、想いと行動が一緒になって進み始めたのが15年前ということなのです。
恩師は、「創造とは、安易ということに妥協しようとする自身の心との戦いであるともいえよう」と教えてくださった。
安易というその心に打ち勝ち、極限まで、挑戦、努力、工夫を重ねていってこそ、新しき道は開かれるのだと教えてくださった。
この15年を振り返って考えれば、挑戦と妥協しそうになる自分の心との戦いの繰り返しの日々だった。
『「あれは良い」とか「あれは変だ」』とか、『「こうすればいい」とか「あんなことして~」』とか、批評評論するように言うは簡単ですが、言葉にしたことを実践したり、それに向けて頑張ったり。
それは、有言実行なんて言葉でまとめるには、簡単すぎて使いたくないほどの妥協と挑戦と続ける努力の中で心の中での攻防戦の苦しみの中で進んできた。
まさに七転八倒の苦しみといってもいいかもしれない。
それは、真剣だからこその苦しみなのだろう…。
誰かと、もしくはシステム(このシステムというのは、以前にも村上春樹の壁と卵のスピーチを通じて書いているのでそちらを参考に…)と戦っている自分は、気づくと自分自身との戦いになっていたように思える。
そして、今もその攻防戦の中にいる。
きっと生きている限り、こうした攻防戦を繰り返していくのだろう…。
さて、勝率は?
弱い自分は、負け越している方が多いいのかも…。
「それでも」って、立ち上がることに意味があると思い、今年も自分との戦いを開始しなければと思うのです。
スガシカオのアストライドの詩にある「なんでなんで僕らはいつも。どうしてうまくいかないことばかり…」この歌詞の部分になるとどうしても涙が滲み出てくるのです。
でも、この歌詞は、次に続く「それがぼくたちの、かけがえない明日になるんだ」と。
苦労するその先には、自分の人生に必ず大切な意味を持たせてくれる。
皆さんの年のはじめにどんなことを考えられましたか。