主治医だった先生が定年となり、先日その先生の最後の受診を受けました。
その後、その先生と今までのお話や今後のお話をさせていただきました
先生は、もともと保健・予防と地域医療を主とした医師で、それを常に心に置いてがんばってこられていました。
その先生とのお話はとても私にとって勇気やがんばる力をいただきました。
先生とのお話で、この地の保健予防において様々な結果が出ていることについて、学会で発表されたりしてこられていましたが、発表のたびに“その中身には論理的根拠がない”や“それで医療はなんの意味があるのか”など、様々な評価をいただき、悔しい思いや、切ない思いをされてきたそうです。
そんな先生は、定年後大学院へ再度行かれると・・・。
先生は大学院にて、今までがんばってきた保健予防と地域医療を世界基準に照らし合わせてきちっとした論拠を作ろうと思っているとのことでした。
そして、「あなたが仕事をしながら大学院へ行かれたことに触発されたのですよ」ともおっしゃっていただき、お世辞でもとっても嬉しいお言葉をいただきました。
そして、先生は「今まで論拠、論拠といわれて悔しい思いをしてきたが、実践に勝るものはなく、その実践を論拠たてることは、ある意味、いい意味での倍返しになる」と、先生の静かな戦いを感じました。
先生は、いつも地域の住民のために、そして一人を大切に、「だれも行かないのなら私が行く」と過疎地にも率先して行かれ、住民の中で自身の役割を徹底的に果たしてこられた方でした。
受診のあと、毎回先生と話をさせていただき、自分の悩み。
今後どうしたらいいのか。などを語り、また聞かせていただいた。
つぎ方は先生はいらっしゃらない・・・。
寂しい思いをしていると「今度は患者ではなくお互いに意見を交換する良き友としてお会いしましょう」とおっしゃっていただき、先生の寛大さと庶民の視線を忘れない姿に、またまた尊敬と大好きになってしまった時間でした。
先生の静かに貫き徹する姿は自身にもしっかり身につけなければならないものと心に刻み込みたいと思いました。