その2
私たちは、聞いた言葉を耳に入れると、自身の価値観でその言葉の意味を判断する。
だから援助者は自身の価値観を自覚し統制していくことに心がける。
たとえばよく言われる“その人らしさ”という言葉。
その人らしさは何を持ってその人らしいと判断するのか?
人は様々なエピソードを体験し、そのエピソードに対して様々な感情を抱く。
そのエピソードは、のちに教訓となることもあれば、物事を判断する基となる自身の価値観やものの見方、新たな価値基準を形成する。
長い人生の中で、それらを積み上げながら自分というものを作り上げていく。
その一端に“その人らしい様な“姿を感じ取り”私たちはその人らしい”と思うのでしょう。
なので、その人らしさを考えた時、その人が生きてきた歴史からみた価値観をどう見ていくのかに繋がっていくと考えれば、“らしい”を見つけるのは難しいことだということがわかってくるし、援助者自身もそうした価値観を形成しながら今があるわけですから、どうしてもお互いに価値観同士のぶつかり合いが出てくるのは必然。
そこで相手を理解し共感していくことから自分のことも受容していくことができ、そして自身を統制していくことができてくる過程があるのだと思うのです。
言い換えれば、その人らしいということ自体も、相手が相手の価値観を通じて“らしい”と判断するものであって、実はその人らしいはずいぶん曖昧な表現であるということもわかってきたりする。
“らしい”のではなく“その人は”と、一つひとつの積み上げられた理解であることが大切なのではないかと思うのです。
しかし、“その人らしい”という“言葉”というか“単語”としての理解であると表面上で“その人らしい”を判断してしまい、その言葉を使っていることがわかったように感じてしまう。
結果、実際のケアの場になるとクライエントと妙にすれ違ってしまったり、行き詰まってしまうケアとなってしまうこともあるのではないかと思うのです。
すると、“認知症の人の声を聞こう”ということになっていくのですが、さて、この“認知症の人の声を聞こう”もこの言葉だけで理解を推し進め、ただ単に聞くだけになってしまうと同様のことが起きてしまうこともわかってきます。
誰でも聞く事はできます。
しかし、何を聞いてその先にある想いをどう聴くのか。
それはデマンド?ニーズ?思いつき?ずっと思い続けていたこと?
発せられた言葉の意味をどう捉えるかで次の支援の方向は違ってくる。
よく“聞く”なのか“聴く”なのかといいますが、聞くにも深さがあって、相手の心の奥深いところを聴くところに聴くの意味があるのです。
そして、語り合う…ここから先は、以前にもつぶやきで書いているのでしつこくなってしまうのでこの話はここまでにしましょう。