管理者として、管理するとはなど、そんな話を、過日とある県でお話をする機会がありました。
理念の共有や経営管理。
職員の人材管理。
人材育成。

さまざまなところで、様々な管理者としての管理が唱われています。
さて、それらの話は、管理者としての意味を含めた話であるが、職員側からみたらどうだろう?
そんな話も聞く。

そもそもの基本的な話は、スーパーヴィジョンの管理的機能の部分を押さえた上での話となりますが、それら理論的な部分は置いておいて、管理するとは、人の得意な部分を理解してそれを保証することを管理すると思うのです。

そして「人材は育成するものなのか」そんなテーマに少し悩むことがある。
もちろん、人材育成の講義はよくしているのですが、論的講義であって、思いや考えの講義はあまりしていない。
論的講義の前後には、きっと考え方や人とはという考え方をきっと学ぶ必要があるのだと思うです。

人材育成は、相手の無からの有への育成ではなく、その人の持つ気づけていない元々持っている(優れたもの)の発見と自覚してもらうことにあるのではないかと思うのです。
人材育成ではなく、人材発掘?というか、そのが持つらせることなのだと

そう考えると、管理者として自分自身をどう律するのか。
情緒的な考えを個々の考えに目を向ける力が必要なのだと思うのです。

例えて言えば、相手の持つ優れた部分を評価して、一緒に喜ぶことができ、自身の力に気づけぬ人に励ましを送ることができる心だと思うのです。

そう考えると、人材育成の講義では頭で理解するだけで行動に移すには論的講義では限界。
自分自身を鍛えていくしかないのだろう。

さて、自分はどうであるか。
そう考えると、管理する者、リーダーたる者。
できていない自分は常に心を鍛えていくしかないのだろう。

それは、リーダーや管理する者だけでなく、実は人を支援する支援者も同じことなのだろう。
なぜなら、クライエントとの関係には、パワーインバランスが起きていて、支援者はどうしても支配的位置にいるのですから、なんとなく組織の中と似ている様な気がする
支援者がアセスメント評価をしている中で、評価者の目という癖がどうしても出てしまう。
そこに、気をつける必要がある
しかしそれが難しい、頭ではわかっているが、心がついていかない

結局、心をどう鍛えるかに尽きるのかもしれない

とりどめのない話でした。