ちょっと忙しくて、しばらく更新してませんでした。

 

さてさて、そういえば、祖父の話をすると書いておきながらほかのことを書いておりましたので、今日はその話を書きたいと思います。

 

今から7年前、私の祖父が他界しました。

享年91歳。生涯現役で常に向上心と謙虚に学ぶ板前として生き、多くのお弟子さんと仲間をもってきた人。

 

私にとっては自慢の祖父。80代前半までスポーツカーに乗り、私の父(婿)に対して「おまえの葬式を見るまでは死ねね!」と豪語し、祖母(祖父の妻)が他界した通夜の晩、祖母の顔を撫でながら「ばあちゃん…ばあちゃん…。」と最後の別れを惜しんでいたかと思えば「ばあちゃん!まだ迎えに来るんじゃないぞ!オレは100歳まで生きるんだから!」と大きな声で声をかけ、親族一同、困惑やら思わず吹き出してしまうやらでエネルギッシュで奇想天外な祖父は200歳まで生きそうな人だった。

 

そんな祖父が急に体調を壊し、すっかり弱気。以前のような100歳まで生きるという言葉が聞けなくなった。

 

私は励ますつもりで「100歳まで生きるんじゃないの!何弱気になってるの!親父の葬式見るまで死ねないんじゃなかったの!」と強く言ったところ祖父は「そんな意地悪言うなよ。もっと優しい言葉言ってくれよ」と。

 

後悔先にたたず。

それが祖父との最後の会話だった。

 

介護の専門職として一番やってはいけない事として話をしてきた私。

 

しかし、それを私は実生活でしてしまったわけである。

 

よく身内と他人は看るときは違うと言うが、実感する出来事だった。

 

私が新聞に載ったりすると切り抜き、大切に写真にしして拡大保管していた祖父。

 

今すぐにでも謝りたい。

もう一度会えるのなら謝りたい。しかしそれは叶わないこと。

きっと、自分が次の世界に行った時に会えたらということになるのだろう…。

 

祖父は最後に、人のついうっかりの心を教えて逝ったのだと思う。

また、生前、祖父がそうしてきた一回一回の人の出会いの大切にすることを私の胸の中に一生忘れることのない様に残して逝ったのだろう。

 

常に向上心と謙虚に学ぶ事を身をもって教えていったと、そう思う事でしか心が慰められず、またそうなるように心に刻むそんな自分がここにいます。