長期で度々の出張が終わって、貯まっていた仕事と家族相談の毎日。
そんな中、相談を続けているとフッと思ったことがある。
家族は、どこに相談したらい良いのかわからないでいるということ。
確かに、公民館で講話を行うときに「皆さんの地域にある包括支援センターはどこにありますか」と聴くと、どこにあるかを知っている人は30人中2~3人。ほんの1割程度。
当事者にならない限り興味が湧かないのはわかる。
しかし、実際に介護者となっている家族でさえ、どこに相談に行ったら良いのかがわからないというのである。
なんだか変な話だが、その家族と話していると、相談できる場所がどこにあるのかがわからないのではなく、「誰がこの悩みを聴いてくれるのでしょうか」という物理的な場所ではなく、人的な場所を求めていることがわかる。
私たち専門職は「いつでも、何でも良いから相談に来て下さい」というが、受け手にとっては自身が抱える悩みはどういった悩みで、それを誰に、どんな専門職に相談したら良いのかと、限られた情報で考え、“皆さんに迷惑をかける”という想いから、「こんな事を相談してはいけないんじゃないか」と、自分でその相談先を制限して相談をあきらめてしまっている姿がある。
きっと私たちが、介護者家族に相談をあきらめさせる何気ないひと言や専門性を特化した説明をしてしまい、あきらめさせてしまっているのではないか。
この数日、家族相談をしていて感じたことでした。