花粉がひどい季節。
そして、この時期は寒暖の差が激しく体調を崩しやすい季節ですね。
さらに、昔の人は「芽吹き草ボケの時期は〜」とよく言いました。
この時期は、体調だけでなく心もちょっと調子を崩しやすい時期ですね。
心と体は一体ともいうだけあって、体が病めば、心も引きずられて苦しくなるし、心が病めば、体調を崩しやすい。
確かに、この時期は認知症の介護相談も増えるわけで、ある地域では、相談の広報が出て1日で定員の6人に達し、さらに追加の相談がないのか問い合わせが多かった。
やはりこの時期は、多くの人が苦しい時期なのだと思う。
人は、健康であることが当たり前と思っている時には、健康であることが幸せなんだと気づけない。
病気になってはじめて健康であったことに幸せを感じ、病の自分自身に不幸感を感じてしまう。
良き大先輩が、大病を患って療養を続けている。
先輩は「生きている限り誰もが病気にはなる。それを幸か不幸かじゃない。それをどう捉えるかなんだよ。捉え方ひとつで、ここから先が変わってしまう。病気自体が希望を失わせるものと捉えたくないよ」と語る。
「病気を前に全てに失望し、悲観的になっている方が、これからの人生にとっても残り少ない人生にしても、人生という単位で見たらそんなふうに思っていたらその方が不幸じゃないかな」と言うのです。
先輩は、心が負けなければきっと大丈夫と言いたかったのだろう。
どんなに苦しい状況にあっても、その困難な壁は次の扉を開くきっかけなんだと…。
苦難があったからこそ、気づけたことがあった。
そして、それを乗り越えてきたからこそ発見がある。
ある人は、人生上の悩みかも知れない。
ある人は、仕事の悩みかも知れない。
また、ある人は、人間関係の悩みかも知れない。
それ自体を呪うのではなく、自分を次のステージにアップさせるものと考える。
そんな先輩の姿を見たとき、そこには病の先輩ではなく、私たち以上に命を輝かせて私を励ます先輩の姿に、人間の無限の生命力を感じざる得ない。
病気は自分を試すものの1つと語る先輩。
それは、認知症になる私も、認知症の人を看る私たちも、その認知症の症状をどう捉えるかで私の行動は変わる。
認知症を看る私にとって、認知症という病にばかり目を向けていたら親しい人の本当の姿は見えてこない。
認知症は、人間を試すものと講義で語ってきた自分は、先輩の姿に認知症だけでなく、病は、困難は、自分を試すものなんだとあらためて実感し、その想いを先輩と語ってきた。
「苦難は人生を豊かにする鍵なんだよ」と語る先輩は、苦難の中を戦い抜くからこそ、本物になれると言いたかったのだろう。
そこには、勇気を持て!と励ます先輩の心の声が聞こえた気がした。
勇気と臆病は紙一重。
一瞬の自分の一念で変わってしまう。
決して、その最初の選択は難しいものではなく、どちらかを選ぶだけ。
なのに、勇気へ手を出すことが出来ず、臆病になる自分がいる。
さて、自分は勇気を選択する自分になれているのだろうか…。
先輩の励ましで今の困難な思いに頑張ろうと思う自分もいる。
命を込めて励ます先輩の姿から、真剣に励ます力は、人の心を大きく動かすことを体験した。