明日は、黙っていてもやってくる。
何もせず、じっとしていても、明日は必ずやってくる。
寝ていれば、起きているよりも早く明日はやってくる。
それは誰にでも平等に。
明日は、日付が変わっても全く違ったものになったわけではなく、今日の延長でしかない。
でも、明日は気持ちを新たにする大切なきっかけになる。
気持ちを変える。
それは、単純で精神論的なことだけれども、確かに気持ちを変えると見える世界も変わって見えることは確かなこと。
また、明日をより良いものにするには、今日をどうするかで未来という明日が変わってくる。
何もしない一日。
どうでもいい毎日。
難なくすぎる日々。
また「こうすればいい」「ああすればいい」と想いばかりが先走り、行動できない日々。
そうした日々は、振り返ると、心に何も残してはいないし、想いだけで行動できていない状況の時は、様々な不完全さが心に残り、苛々がつのっていく…。
それは、今日という日が明日に意味を繋げていないからだろう。
がんばった一日。
悩み苦しんだ一日。
ショックだった出来事。
泣きたくなる出来事。
きっと、その時はどうしようもないヘタれた一日だろう。
でも、それは明日へと繋がっていく。
悩んだ分だけ改善へと向かっていく。
半歩でもいい。ほんの5mmでもいい。
前に進めば、結果は必ずついてくる。
たとえば、認知症の人の語る言葉には、その人の心に残る思い出話が語られる。
その思い出は、たくさんの苦労話とそれを乗り越えてきた思いがたくさん詰まっている。
過去がどんなに苦労であっても、その苦労が武勇伝になる。
その苦労を語る言葉に笑顔がある。
喜びといってもいいくらいの笑顔がそこにある。
その日その日を懸命に生きてきた日々。
その日々は、苦労を明るく過ごしてきたわけではないと思う。
きっと、身動きできないくらい悩み、吐き気さえ感じるくらい辛かったに違いない。
自分にとって味方は少なく、敵ばかりの状況もあっただろう。
それでも、歩んできた姿が眼に浮かぶ。
明日をより良いものにするのは、そうした悩み苦しむところからなのかもしれない。
瞬間、瞬間、一日いち日の単位で見たら、何も前進などしていないように見える。
それどころか、他者から見たら前進どころか後退しているようなダメな姿ばかりなのかもしれない。
どうしようもないほどの醜態なのかもしれない。
しかし悩み続け、歩みを止めていないのだから、前進しているし明日へと続いている。
それは、人間としての人生の深みを身につける前進をしているといっていいのだろう。
目の前にいる人生の諸先輩の姿から、それは受けとることができる。
そして、認知症という病と戦う今、目の前にいる彼らの人生から学ばせていただいている。
「いい話を聞いた」ではなく、その人の話から自分の人生を考えるきっかけをもらっている。
この仕事をする私たちは、支援する仕事でありながら、同時に彼らから、自らの人生を歩む支えをもらっている。
今、悩むことは無駄ではないのだと、記憶障害と戦う彼らが過去の人生を私たちに語りながら、生きることを教えてくれている。
そんな相互関係の中で、私たちの仕事は積み重なっていく。
他にはない自身の人間的成長の物語を読み綴る仕事を私たちはしている。