あらあら…。
新聞の効果というのはびっくりですね。
昨日の朝刊に掲載された記事がきっかけなのか、ホームページのアクセスが、1日で120ヒット。
普段のアクセスは、1日に20カウントぐらいですから6倍のヒットだったてことですね。
あらためて、マスコミの影響にびっくりしました。
さて、あの記事で、掲載されていないコメントがありますので、ここでちょっとだけ触れておきたいと思います。
それは、前回のつぶやきでも触れました判決文の文中にあります「本人の生活の質の維持をこころがける認知症高齢者の在宅での介護は、身近にいる者だけでできるものではないが、身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め、本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり、各人が合意して環境形成、体制作りを行い、それぞれの役割を引き受けているのである。」というところの【在宅での介護は、身近にいる者“だけでできるものではない”が、身近にいる者“抜きにできることでもない”】の言葉。
私たちは、どうしても、介護者が困難に陥ると、介護者家族と認知症の人本人との距離を置くような支援を考えていきやすくなってしまう。
そこには、問題解決という考え方が優位に立った行動であって、それ自体には問題はない。
ただ、認知症の人本人を“問題”として捉えての考えであるとなると、ちょっと答えは違ってくる。
あくまでも、認知症の人本人が問題であるのではなく、認知症による生活障害や様々な環境(空間を含む物理的環境・関わる人間関係による人的環境・社会そのものの環境・時に薬の副作用など)による影響からくる行動心理症状などに課題を見出し、そこをどう支援していくかとする視点“も”大切なものとなってきます。
もちろん、認知症の人本人と介護者家族との関係からくり問題は一定の距離を置くこともとってもとっても重要なことでもあります。
しかし、距離を置くことで問題が新たに発生する場合もあります。
たとえば、共依存の関係などはそうですね。
介護者支援を考えた時、何が問題で、なにを課題として考えられているのか。
介護が辛くなって、様々な心労や身体的にキツイ状況に陥った時は誰もが混乱してしまうもの。
その混乱した状況にある介護者の心の疲れをほぐしていくこと。
そして、絡み合った問題を整理し解決できるもの。そのまま受け入れなければならないもの。
また、助けを求めるべき時は躊躇せず助けを求められるように、時間はかかっても問題を自ら整理し歩み出せるように常に側面からの支援していくことが大切で有り、歩み出す勇気が持てるまで私たち支援者は一緒に歩むスタンスを持ち続ける。それが、本来あるべき支援者の姿のではないか。
そう私は思うのです。
そして、もうひとつ。
『行政的な支援の活用を含め、本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり、各人が合意して…』の部分。
ここでは、行政・本人の親族“等周辺のもの”がの【等・周辺の者】に注目すべき事なのです。
介護者家族はもう限界までやっているのです。
その他の視点として、
“現実に即した行政のスタンス”
“直接には介護に携わらない親族(兄弟等の存在)の介護者への気遣いと支援”
そして何よりも周辺の者といわれる“ご近所さん(地域住民)”が支援者として含まれていることを読み含めていかなければならないのです。
その上で、各人が合意して支える環境形成をしていくことなのだと読み上げていくことが大切なのです。
今回、この部分が記事に載せておいて欲しいところでしたので、ここでつぶやいておこうと思いました。
一般の人が読むには難しい内容だったからかな…。