いつもの年なら地域向けの認知症講座が専門職向けよりも多いのに、今年は専門職向けの研修が多い年だったなぁ?と今年を振り返っています。
そんな専門職向けの研修をする中で、恩師の存在が大切であることを伝えていたら師弟とは何かという問いが出てきました。
なるほど、師匠と弟子と言われてみれば恩師や師匠の必要性を話してきましたが、その関係や心の持ち方までは話していなかったことに気づかされました。
そして、なんと師弟の関係が希薄になってしまったか…。
師弟とは言っても、いくら師匠が「お前を弟子にしてやる」と言っても、弟子がその気でなければ、どんなに思慮深く力があろうとも師弟どころか師匠にもなれない。
反面、どんなに自分には師匠としての資質も知識もないと言っても、弟子となろうとするものが「弟子にしてください」と願い出れば、師匠となってしまうものなのです。
さて、良き師、悪しき師がいますよね。
たとえば、スターウォーズでも出てきますよね。
光明面(ライトサイド)のジェダイの騎士と暗黒面(ダークサイド)のシスやダースベイダー卿のように善悪があるわけで、誰につくかでジェダイにもシスにもなれてしまう。
だから誰につくかで、自身の人生が変わってしまうくらいのものが師弟なのです。
いや、変わってしまうほどの繋がりが師弟なのです。
そこには師匠から教わることは、知識や技術というものを授けるだけにとどまらず、考え方や物事を判断する価値や倫理観にまで教え影響を与えるものなのです。
ですから、優しい。わかってくれる。というようなものではなく、もっともっと深く厳格なもので深淵なものなのです。
師匠を持つものは謙虚である。私はそう私は教わりました。
その意味は、常に自身の行動や発言には「私の師は?と教えてくださった」や「師匠の思いはこういう想いです」と自身の行動や考えについて師あっての自身であると言うことがわかっている。
そして、どんなに離れていても行き詰まると「恩師だったらどうするのか」「以前師匠はこう言ってた」と思い起こしながら自身の困難を乗り越えていく。
いつも師匠は心の中にいるものです。
だから何か上手くいっても、それは師の教えがあってのことと謙虚になってくのだというのです。
確かに、どんなに良い師匠に付いても反逆していったら独善的になり、師匠から教わったことでさえ自分の考えと主張する姿を時々目にすることがある。
人の成果の横取りや自分の成長の意味を忘れた姿は、師弟でもなければ、恩知らずの姿でもあるのです。
さて、では誰が良き師で誰が悪しき師なのか?
そこがわかればスターウォーズは映画にはならなかった訳で、良いも悪いも一見では見分けが付かないものなのです。
ただ、悪しき師は最初は言葉巧みに良いことを言い、その人の心を心地良くする。
しかし、そこには相手のことを考える事では無く自身の私利私欲を満たすための言葉であるわけで…。
きっと、良き師は自身のことよりも多くの人々のために必要なことを考える人を指すのであろう…。
かく言う私も師匠はいる。
師匠の心から離れた時傲慢になり、師匠の想いの使命を感じた時心は謙虚になる自分がいます。
使命…命を使う…。
目的のために…。