今日は噴火で落ち着かない木曽町での研修

4日前も木曽町でしたが、この4日間で天地がひっくり返るほどの環境。

自然の怖さを実感してきました。

 

さて、前回の続きのHow toの話。

どう表現したら良いのかわからないので、先ずは言葉の羅列から始めます。

 

生活障害の研究のお手伝いをはじめて3年ほど。

認知症ケアは、かなり医学モデル化が進んでHow to化出来るほどの形式知が積み上がってきていると思うのです。

 

実際に、私たちがスタッフに教える時には、なんらかのHow toを含めて教えているわけで、なんら特別なことではない。

 

生活障害のお手伝いする前から認知症の疾患からどう考えるのかとか。

中核症状は本人をどのように苦しめているのかなど。

 

やはりこれもHow toといえば、How toなのだと思うのです。

ですから研修でも同じように各障がいや疾患による形式知化された事実はしっかりと学ぶべきですし、身につけていかなければならないと思う。

 

そもそも、私たちがケアを実践していくうえで、暗黙知程度のHow toから理論的根拠からくる実践的なHow toを使ってケアを行っているわけですから、それら実際に行っている事をHow toとして形式知化する作業や医学モデル化したケアの根拠を示すHow toが必要なのですから。

 

 

ただ、私が感じるのは、一つの出来事(クライエントの訴え)に対してHow toを使うまでの課程の中で、どれだけその訴えを理解しデマンドからニーズを拾い出すか。

この訴えを理解するのが一番大変なところなのだと思うのです。

ここには援助関係を結ぶための私たち専門職の原則もあれば何よりもクライアントに向き合う姿勢も振る舞いも大きく関係していますし蔑ろにできない部分です。

それを共感と言うこともできるのかもしれません。

であれば、共感は難しいと言えますね。

 

そして、「環境」「倫理的」「etc…」の要因を分析し、様々なケアの選択肢をどれだけたくさんUpできるか。

さらにUpした選択肢からその人に、その状況に合った状況を見つけ出すための形式知(How to)の必要性までを皆さんにお伝えできればと思っております。

 

また、番外編としてその多数見つかる選択肢を適切なものは何かを選択できるように支援者を支援するスーパーバイザーの存在の重要さ。

対人援助ですから悩み苦しいのは当然のことで、組織や、そのリーダーはその支援者をしっかりサポートする体制を作る。ことが大切だと思います。

 

たとえば、そうした想いの先には、How toにしても、たとえば「こういう時は、こうすれば良い」という一つのHow toには、Howに入る前の分析やニーズの把握をしたうえで、「こういう時はこうすれば良い」となるのだろうと思います。

 

また、「こういう時にはこうすれば良い・・・“なぜならば”・・・」という“なぜならば”の理由があって本来の答えが導き出されるのではとも考えます。

この“なぜならば”という理由の結論を出すまでに、多岐にわたる思いつく様々な可能性の選択肢をどれだけ予測し思考することができたか。

そして、その中から「これ!」という“なぜならば”を見つけ出すところに至るまでがとても難しく、大変なことであって、この苦しく悩ましい過程がHow toへと続く大切な過程なのだと思います。

 

今日はここまで…。

 

続きは、対人援助者の立ち位置から考えます。