気づくと、法人を立ち上げて13年が過ぎ、今日で14年目に入る。

10周年記念を済ませて3年。

何にも成長していない自分がここにいる。

 

14年目を迎えて立ち上げたあの時を振り返って考えてみたいと思う。

 

やじろべーを立ち上げたのは、在宅に帰ることができない認知症の人と在宅介護が難しくなってきてしまった介護者家族が増えたことがきっかけ。

老健本体が在宅に帰せないことに悩んだのではなく、「帰りたいのに帰れない」「連れて帰りたいのに連れて行けない」というクライエントの悩みが発端だった。

 

当時、本来の老健の仕事である機能回復と在宅での生活を進めるための医療やケアとの連携による体制作りは、細々なりになんとかできていたが、問題を取り除くだけのサービスではなく、地域の中で自身が望む最期を。また、在宅介護を通じて、専門職の人間的成長と介護者家族の人生の充実を支える支援を展開することが年々難しくなっていく中でのことでした。

 

専門職として学ぶべきことがたくさんある。

在宅支援には、社会教育の必要性。

考えれば考えるほど、思考は、そうした事へと辿り着いていく…。

 

志を動かしたのは、クライエントの悩み苦しむ姿。

行動へと一歩踏み出させてくれたのは、信頼する病院の先輩ソーシャルワーカーの「必要なことだからやった方がいい」の言葉だった。

 

人は信念と志を持ち、信頼する良き先輩、そして先師がいることで自身の持つ力を最大限に発揮させることができる。

「信念と信頼できる人」いづれも自身の心に由来する。

この人に自身の人生をかけられるという先師の存在は、自身の大きな勇気になる。

 

先日もあるTV番組でのインタビューに「師匠の存在は自分のやりたいことの妨げになるから師匠も修行もいらない」と応えていた人がいました。

 

確かに、自分にやりたいことがあり、それを推し進めようとした時、修行や師匠の存在は回り道で足かせのように見えるかもしれない。

しかし、やりたいことをもがき苦しみながら頑張るのも個人修行であり、その時間があるから大成をなしたのも事実です。

ただ、その修行も訓練も自分勝手のものであればそれは何の役にも立たない。

 

「もっとも苦しむ人のために何ができるかを常に問え」とは、ガンジーの言葉。

やはり、そこには先師の言葉がある。

それを頼りに頑張ることができた私がいるのです。

 

私自身も模範となる施設に半年間勉強に行き、自分なりの形態を思考錯誤しながら今のやじろべー。そしてもくれんを作ってきた。

 

つづく…。