ある新聞の投稿に7人の子どものお母さんの話があった。
元気すぎる子どもたちに手をやく毎日。
その中で、一人の子どもだけは手がかからずものわかりの良い子だった。
しかし、その子どもが病気になってしまう。
心の病気に…。
7人の子育てに奮闘する母を思い、甘えることを我慢し、本当の気持ちを母にも誰にも伝えられずに抱え込んでしまった結果だった。
悩んだ末に子育ての先輩から「子どもを治そうとするのではなく、母のあなたが同苦して、愛情で包み込んで、親子で幸せになるのよ」との励ましにハッとした。
何かを変えよう。相手を変えようと無理矢理周りを変えようとしていた自分がそこにいた。
そうだ!“変えるのは私の考え方のほうだ!”そう気づいたのだそうです。
相手を変えようとするのではなく自分が変わること。
人を変えることは難しい。
とはいえ、自分を変えるには固執したこだわりや頑固な自分を変えなければならないわけで…。
でも、こだわりを端に置いたら世界は大きく変わるんですよね…。
それをどうアドバイスをしてもらうか。
相談をする人と相談を受ける人の呼吸が合わないと上手くいかないことなんだと思うことが多々あります。
そして、なによりどんな相談相手かによってその後は大きく左右してしまう。
自分に都合の良い答えを出してくれる人は良い相談相手ではない。
ただ、厳しいだけでも良い相談相手でもない。
的確な指摘と自身で考える事を指導できる人は少ない。
でも、そうした相談相手を探し出会える事が大切。
なぜなら、誰に相談し誰に指導を受けるかで、その後の答えは変わってしまうから。
先日のテレフォン人生相談。
似たような相談内容で、回答者によって全く違うものになっているのを耳にしたとき、誰に相談するかでその人の人生は大きく代わってしまうのを目の当たりにした感じでした。
人生は失敗しないほうがいい?
失敗はしたほうがいい?
そんなことよりも、失敗が自分を成長させる気づきと捉えられるのか?
そう感じさせる相談ができる人と相談する事が大切なのだと思う。
失敗は恥ずかしいことではない。
さて、指摘されたらどう捉えるか?
肩意地はって言い訳をするのか?
そうか!と気づきとして捉えられるのか?
幸せなのは後者であろう。
指摘した人のために変わるのではない。
自分のために変わる。
見る視点が変わると世界が大きく変わってくる。
こだわっているものをそっとはじに置いたら自分の世界は大きく変わってくるのです。
それに気づけるのは、紆余曲折の人生に対して一つひとつの出来事を正面で受け止め体験した苦しみや喜びをドタバタしながらも前に進んだ人。
等身大で表現する人が気づけるのだろう。
人より泣いたこと、そこから這い上がってきたことを誇りに思えたとき「変わるのは自分だったんだ」と言葉だけではなく、心で気づけるのだろう。